中国『隋書倭国伝』で語られた邪馬台国 ―「邪靡堆」と阿波に残る古代国家の痕跡―(電子本)
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中国『隋書倭国伝』で語られた邪馬台国 ―「邪靡堆」と阿波に残る古代国家の痕跡―(電子本)
著書の説明
中国の正史『隋書』には、七世紀初頭の倭国について「邪靡堆に都す。すなわち魏志のいう邪馬臺なり」と記されている。
卑弥呼の時代から約三百五十年後、中国はなぜ倭国の都を邪馬台国と結びつけたのか。本書は、隋の使者が記録した倭国の地理、政治、風俗、外交を読み解きながら、邪馬台国がその後も存続した可能性を考察する。
さらに、四国・阿波に残る地名、祭祀、山岳信仰、古墳、海上交通を手掛かりに、「邪靡堆=阿波」の可能性へ迫る古代史ミステリーである。
はじめに
邪馬台国は、卑弥呼の死とともに歴史から消えたと考えられてきた。しかし、中国の正史『隋書』には、七世紀の倭国の都を「邪靡堆」と記し、それが『魏志』に登場する邪馬台国であると明記されている。
これは、邪馬台国が単なる三世紀の一王国ではなく、後世の倭国につながる重要な政治的記憶だった可能性を示している。
隋の使者が見た倭国とは、どのような国だったのか。そして「邪靡堆」は大和なのか、九州なのか、それとも四国・阿波だったのか。
本書では史料の記述と後世の解釈を区別しながら、海と山に囲まれた阿波に残る痕跡を検証していく。
第1章 中国正史『隋書』とは
隋王朝の歴史を記録した『隋書』の成立と、倭国に関する記述が残された背景を紹介する。
第2章 「倭国」ではなく「俀国」
現存する本文で使われる「俀国」という表記に注目し、文字の違いが生まれた理由を考える。
第3章 隋の使者が見た倭国
七世紀初頭、隋から派遣された使者が記録した倭国の政治、暮らし、社会制度を読み解く。
第4章 邪靡堆とは何か
「都於邪靡堆」という重要な一文から、邪靡堆の読み方と意味を検討する。
第5章 邪靡堆と邪馬台国
『隋書』が邪靡堆を『魏志』の邪馬臺と説明した理由を探り、両者の関係を考える。
第6章 卑弥呼から七世紀へ
卑弥呼の時代から遣隋使の時代まで、倭国がどのように変化したのかを追う。
第7章 倭王・多利思比孤の正体
『隋書』に登場する「阿毎多利思比孤」は、誰を指していたのか。諸説を比較する。
第8章 「日出ずる処の天子」
隋の煬帝を怒らせたと伝わる国書から、倭国王が目指した対等外交の意味を読み解く。
第9章 海の中にある山島の国
「大海之中、山島に依りて居す」という記述をもとに、倭国の地理的特徴を考察する。
第10章 東が高く西が低い国
『隋書』が伝える「地勢東高西下」は、どの地域の地形と一致するのかを検証する。
第11章 海岸へ至る十余国
隋使が通過した国々と航路をたどり、当時の倭国に広がっていた交通網を復元する。
第12章 秦王国という謎
隋使の行程に登場する「秦王国」と渡来系氏族の関係、その所在地をめぐる謎に迫る。
第13章 倭国の祭祀と太陽信仰
『隋書』に記された風俗と、日本列島に残る太陽、山、水を崇拝する信仰を比較する。
第14章 大和説の成立
邪靡堆を奈良の大和と見る説が、どのような根拠によって成立したのかを整理する。
第15章 九州王朝説から見た邪靡堆
倭国の中心を北部九州に求める説を取り上げ、隋使の航路や外交記事との整合性を検討する。
第16章 四国・阿波という可能性
海に囲まれ、東部に高い山々を持つ阿波の地勢を『隋書』の記述と比較する。
第17章 阿波に残る「ヤマト」の記憶
大和、山門、山戸などの地名や伝承を手掛かりに、古代阿波と邪靡堆の関係を探る。
第18章 剣山と古代祭祀国家
剣山を中心とする山岳信仰、忌部氏の祭祀、吉野川流域の文化から古代国家の姿を考える。
第19章 阿波から大和へ移った勢力
阿波の氏族や祭祀文化が畿内へ移動し、「大和」という名称と国家の記憶を伝えた可能性を考察する。
第20章 邪馬台国は消えていなかった
『隋書』の邪靡堆を手掛かりに、邪馬台国が名前や王統、祭祀の記憶として存続した可能性を提示する。
終章 中国史書が残した古代日本の記憶
『隋書』の記述だけで、邪馬台国の所在地を断定することはできない。しかし、「邪靡堆は魏志の邪馬臺である」という説明は、七世紀の倭国と卑弥呼の時代を結ぶ重要な証言である。
邪馬台国は突然消滅したのではなく、その記憶が後世の国家へ受け継がれたのではないか。そして、その原初の舞台が阿波であった可能性も残されている。
中国史書、地形、地名、考古資料、神社伝承を重ねたとき、阿波は邪馬台国を考えるうえで無視できない地域として浮かび上がってくる。
本書は、定説を否定するためではなく、中国側の記録から失われた古代日本の姿をもう一度見つめ直す試みである。
